選ばれているようだ。

 と、バブルは思う。海なり湖なり、水の中に漂っている時の感覚である。
 海の星地球に於いて、我らが母は子を選ぶ。いや、もう選んだ後?
 いやいや、生命の誕生は海からだったとか作為的な感じの、そういうダーウィンだとか中立説だとかは置いておいて、

 今である。今と言うのは、潮の流れるままにゆぅらりとしながら海抜-400mから空を見上げる、今である。海なう、ってなところ。
 もうちょいと深くまで行こうか、ということで浮き袋からガスを抜く。ガスを抜くと言うと効果音はやはりプシューとかだろうけど、水中だと不思議なものでSEは「コポコポ」。一気にメルヘン。
 さて、慌てたように水面へと駆け上がっていく酸素の玉たちをぼんやりと眺める。やはり選ばれているのだ。母の懐から追い出される軽やかな気体と、対するようにより沈み込んでいく自分。なんとも、Mrs.Oceanは機械だろうがなんだろうが構わないらしい。博愛主義である。

 博愛主義じゃないんじゃない?
 と、こちらは麗しきマーメイド、スプラッシュウーマン。博愛主義っていうより、好き嫌いの激しいヒステリックなママって感じ。さすが同性同士、容赦がない。
 だけどまあ、そうなのかもしれない。海に嫌われた空気は無事海上へ脱出できたのか、今や影も形もない。海は嫌いなのだ。空気だけじゃなくて、空というものが。その証拠にここは光が届かない、正しく暗闇の世界。お空の代名詞、太陽の光なんて願い下げよ、ふん、という声が聞こえてきそうである。
 ほんでもって極め付けに、彼女は空に囲まれて生きる生物もとことん嫌うのだ。ひとたびザブンとやっちまうと、息はできない身体は重たい、さらに進むと重たいを通り越して布団圧縮袋もなんのその、ぺしゃんこである。ならばと硬い殻を纏ってくると、今度は色のない極寒の世界がお出迎え。なるほど、ヒステリックに違いない。

「というわけで、今ここでのんびりと世間話ができる僕たちは、選ばれたってことになるわけだ」

 正しく世間話の無駄話を、バブルはこう締めくくった。超超高感度カメラでも、目の前の人魚の姿がかすんで見える、そんな状態でする話ではない。彼女もそう思ったのか、ふーんと気のない返事を返すのみ、

「あなた、面白い発想するのね」

 と思いきや、意外にも好感触。この考えを誰かに言うのは初めてなので、貴重な第三者の意見その1ということになる。
 面白いって言葉は褒め言葉に見せかけてそうじゃない時もあるものなあ、と思いつつ心のノートにメモをしておく。

「でもそれで選ばれた、だなんて言いきっちゃうあたり、さすがドクターワイリー製って感じ」
「…博士、関係ある? 今」
「あら、気に障った? じゃあ言い換えるわね。そんな奇抜な発想ができちゃうあたり、さすがドクターワイリー製ね」
「…君のそういうとこ、ほんとライトナンバーって感じ」

 口では負ける(というか口以外でも多分負ける)と自覚しているのでぽつりと小さな反抗だったが、スプラッシュウーマンはにこにこ笑って「ありがとう」とまで言った。ここにレフェリーがいたら高々と彼女の腕をとって挙げていただろう。

「面白い考えっていうのは本当よ? こんなところまで一緒に来れる人、あなたくらいしかいないから、新鮮だわ」
「二人しかいないから、さぼり放題だしね」
「失礼ね、さぼりじゃないわ。私はちゃんと救援信号がないか探しているもの」

 こんな海洋学的価値がないところで救難信号出すような輩=人間はいない。 とは思ったけれど、これは言わぬが花である。ワイリー製だろうがライトナンバーだろうが、サボりたくなるのが人の常。これも彼らにうっかり人の心もどきを持たせた二人の博士の責任である。多分。

 ここで漂い始めてから20分は経ったろうか。サボるのも30分が限界だろう。というわけで、後10分間はここでのんびりできる計算だ。スプラッシュウーマンも異論はないようなので、またも二人してゆらゆらし始める。こんなところ見つかれば給料がしょっ引かれること間違いなしであるが、バブルマンはともかくスプラッシュウーマンは信用があるので、そもそも見回りも来ないだろう。優等生はこういうとき便利だ。

 で、5分。

 5分後であり、あと5分でもある。そろそろ行こうかな、どっこいしょ。と腰を上げる時間だが、そもそも下ろしてない腰を上げる必要がない二人はのんびりしたものである。ただ会話もなく、無言。何が楽しいかと言われると、よくわからない。海に選ばれると海が好きになるのだろうか。

「あなたの話を聞いて思ったの」

 隔てられた空を見上げながら彼女が言う。バブルは問い返さなかったが、それを催促ととったのかこちらの反応なんぞどうでもいいのか、続ける。

「海に選ばれると、空も陸も嫌いになっちゃうのかしら、って」

 新しい見方だ。確かに空嫌いの海に好かれると、自分も空が嫌いになる気がする。
 それに僕も君も、陸じゃ満足に歩けもしないもの同士だしね、と皮肉が出る前に、色のない人魚が一言。

「だって、私、帰りたくないもの」

 シンプル・イズ・ザ・ベスト。バブルの皮肉を吹き飛ばした。

 君の場合嫌いなのは陸だけだと思うけどね、とか、僕は空が嫌いっていうより海が好きなんだけどなあとか、そういうのはなしなし。ナンセンス。
 あっちが直球で来たならこっちも直球で返すべきだろう。ワイリーだとかライトだとか言う前に、折角同じ水中活動用のいきものなのだから。

 そうだねえ

「僕もまだ帰りたくないかな」