一.
私の心が擦り切れてしまう。確かにそう思った。口には出せないけれども、そう強く思った。使っては捨てられるちり紙のように、摩耗して初めて本懐を果たす字消しのように、いつか私は細かな粒子になって消えてしまう。罵詈雑言の雨の中、淡い水玉の傘の下から、それらを仰ぎ見ていた。地球と言う大質量に惹かれて、伸びた滴は子供のように、地面に向かって落ちて行く。世界は当然でできている。ゆえに私も当然の中で当然に生きていて、だからこそいつか、炭素や水素や酸素になって、陽子や電子や中性子になって、クオークやレプトンになって宇宙と言う名の世界へ広がりゆくのだろうと思うのだ。当然のように。
二.
寒くも暑くもない日だった。あるいは満月の二日後のことだった。家主が不在の邸宅を預かるロールたちは、一方を残して一方が買い物へ繰り出すことになった。それらの役割をどう決めたのかはすでにあやふやであるが、結果的に、買い物袋を携えたロックを、玄関で手を振って見送ったのは、ロールであった。
その日果たした仕事については、大事なことではないので省こうと思う。あえて言うならば、庭の手入れと掃除をした。料理はロックの帰りを待って作ろうと思っていた。幼い少女を模ったロールの外殻が映って見えるほど磨かれたシンクで、濡れた手を拭って一段落としたロールは、リビングでテレビを見ることにした。埃一つ見当たらないフローリングに満足しながらソファに腰掛ける。
よく誤解されがちなのだが、ロールはロボットにありがちな、ニュースの自動受信や無線通信という機能は有していない。理由としては簡単で、人間にそれらの機能が付加されていないからである。人間に似せると言うコンセプトで造られたロールという名のロボットは、笑うことも泣くことも怒ることも、食事も排泄も、生きると言う動作が全て人間を模して造られていた。つまり何が言いたいかと言うと、ロールはどんな重大なニュースであっても、自分で新聞やテレビやラジオから情報を入手しない限り、それを知ることはできない立場にあったということだ。
三.
またか、と。最初に思ったのはそれだった。その無感動さは、ロール自身の心に少なからずショックを与えていたが、しかし繰り返される事件にロールが最初に抱いたのは、やはり諦観にも似た心地であったのだ。まったく懲りないんだから、と呟きながら頬杖をついてため息を一つ。そう、まったく驚くべきことに、ロールはこの時、この事件がどうなれば収束に向かうか、またもや起こったDr.ワイリーの反乱を再び鎮めに行かねばならぬのは誰なのかを、完全に失念していたのである。
四.
自己弁護をするのは簡単だった。その気さえあれば弁護士の如く弁論を揮うこともこともできただろう。しかしロールはそれをしなかった。トーマス・ライトのもたらした良心がそれを許さなかったのだ。
Dr.ワイリーが世界のどこかを占領して高笑いを上げていても、世界のどこかではリニアカーが定刻通り運行されているように、人を模して造られたロールが、彼らと同じような慣れを感じていても、それは決して罪ではなかっただろう。だからこそロールは喘いだ。自分の立場とその心の不一致に、それらがもたらす叱責に、体を丸めて縮こまるしかなかった。誰か助けて欲しいと叫べば、間違いなく手を差し伸べてくれる人がいるからこそ、辛かった。なんて贅沢なのだと思うことがまた少女を苦しめていく。
ロールは黙して耐え抜こうと決意した。それがせめてもの贖罪であると信じた。これは彼女にとっては当然の帰結であった。
〇.