「博士、入りますよ」
「おおー」

ドアの向こうの間延びした声に了承をもらい、フラッシュは開閉センサーに手をかざした。
ポンプが空気を吐き出す音と同時に上へと開いたドアをくぐる。部屋の中には、画面を睨みつけてコンピュータと格闘する博士がいた。ディスプレイに青白く照らされた顔はかなりイライラしているように見える。

「明かりも点けないでどうしたんですか」

ドアの近くの壁にあるスイッチを押しながら言う。にわかに部屋が明るくなるが、それすらも気にしない様子で博士はコンピュータにかじりついていた。

「いや、ちょいとプログラムをいじってやろうと思ったんだが、どうも容量がオーバーしとるようでな…」

言い終えてから、忙しなく動かしていた手を止める。しばらくの沈黙のあと、画面に浮かんだメッセージに博士は椅子が倒れるほど勢いよく立ち上がった。

「またか! これだけやっても足りんのか!」

荒々しく操作をしながら「2メガぐらい根性でなんとかせんかっ」と無茶苦茶なことを言う博士に苦笑しつつ、フラッシュは倒れた椅子を起こして博士の後ろまで転がした。博士も当然のようにそれに座って、コンピュータ相手に精神論を語るのをやめてくるりとこちらを向いた。

「で、お主は一体何のようだ」
「今日はただの事務報告です。一応まとめてきましたが、今見ますか?」

持ってきていたチップを指で挟んで見せる。中にはフラッシュの受け持つ基地の近況を簡単にまとめたものが入っている。具体的に言うと新しくジョーを四機配属したとか、新入りがクリスタルの床で滑って破損したので修理したとか、まあ、概ね平和だ。

「いい、後で見る。そこらに置いといてくれ」

そこらに、と言われてフラッシュはそこらを見た。コンピュータの向かいにあるこのデスクのことを言っているのだろうが、しかし何というか、ごっちゃごちゃである。この小さなチップをここに置いて大丈夫なのか悩んだ末、周りのものを少し押しやって強引に空けたスペースに置いた。
そんなことをしている内に、博士はまたコンピュータと向き合っていた。なんとなくフラッシュも後ろから画面を見る。自己修復プログラムの打ち直しだろうか。
博士はしばらく羅列されるプログラムを睨みつけていたが、大きなため息を吐いたかと思うと椅子に背中を預けて、また180度回ってこちらを見た。もともとフラッシュは身長が高い上に、博士が椅子に座っているので、視線を合わせるために反り返った首が痛そうだ。

「どうした、まだ何かあるか」
「ああ、いや・・・」

答えながらフラッシュが一、二歩下がると博士の首も痛くなさそうになった。それを確認しながら「なんでもないです」と言おうとして、止めた。
今度はたった今思いついたことを言うかどうかで悩む。かなり根が詰まっているようだし、今のまま2メガバイト分を削るのは厳しいだろう。回路上で一つ頷いて口を開いた。

「そうだ、ウッドが呼んでましたよ」
「ん? おお、ウッドか」

そういえば最近行っておらんかったな、と言った博士は、背後のコンピュータをちらりと見たが、ひとまず忘れることにしたらしい。嬉しそうに立ち上がってドアの方へと歩き出す。そのまま部屋を出ていく前に、一度振り返ってフラッシュの方を見た。

「すまんな、お主も忙しいだろうに」
「今は仕事もひと段落ついて休憩中です。気にしないでください」

そうか、という返事と共に笑顔が返ってきたので、フラッシュは頬をかいた。博士は自分の作ったロボットたちが、回りを気遣うという行為をすると、ちょうどこんな風に笑顔になる。普段は主にウッドなどに向けられているものなので、なんとなく気恥ずかしい。

「すみません、ウッドあてに伝言を頼んでもいいですか」
「なんだ」
「最低でも三十分はもたせろ」

ドアを背にする博士が眉をしかめた。意味がわからないと顔に書いてあるようで、思わず笑う。さらに眉間の皺が深くなったが、それを気にせずフラッシュは続けた。

「言えば分かるんでそのまま伝えてください」
「? そうか」

首を傾げながら部屋を出ていく博士を見送る。

さて。
フラッシュは青白い光を放つディスプレイを見下ろした。







*







「フラッシュ兄さんに言われたって・・・」

ここ最近、忙しいのかリビングに姿を見せない兄とはそもそも会ってすらいない。
いつも通りウッドの森へいきなりやってきた博士に、何の用があるのか尋ねられてウッドは困っていた。怪我をしている仲間もいないし、博士に来てもらうようなことは起こっていない。
その通り伝えてみると、博士はがっかりとした様子で肩を落とした。

「なんじゃ、だったら戻るかの」
「えっ。大丈夫ですよ、のんびりしていってください」

誤解させてしまったかと思い慌てて言う。確かに博士に対して用事はないが、せっかく来たのだから休んでいってほしい。
普段ならこう言うとしょうがないなとでもいうように笑って、一緒に森林浴をしたりお茶を飲んだりするのだが、今日は違うようだ。

「プログラミングがどうもうまくいかないから、ラボのコンピュータを点けたままでな」
「あ、そうなんですか…。それじゃあ戻った方がいいのかな」

どうなんだろう。仕事の途中なら戻った方がいいとも思うが、コンピュータへの愚痴を呟く博士は疲れて見える。
休んでもらうべきなのかどうか頭を悩ませていると、博士が「そういえば」と言いながら一つ手を打った。

「ラボから出る時にフラッシュから伝言を受けたんじゃった」
「伝言ですか」
「ああ。最低でも三十分もたせろと言うとったが…」

全然意味がわからないで首をかしげていると、それを見たのか博士は言葉を切った。
ウッドは頭を捻って考えてみるものの、意味がさっぱりわからない。一体何を三十分もたせればいいのだろう。そもそもラボとウッドの管理する森まではそう遠くないのに、フラッシュが博士に伝言を頼むこと自体が珍しい。

「…ああっ!」
「ど、どうした」

そこまで考えて、伝言の意味がわかり思わず声を上げてしまう。前にいた博士はびくっとして聞いた。
意味がわかったと言えば、どんな意味なのか聞かれてしまうだろう。それは困る。フラッシュの博士に対しての思いやりを無駄にしたくない。

「え、あの、ええっと、そう! 思い出しました、用事が何なのか」
「おお、そうか。一体何の用だったんじゃ」
「う、それは、その―」

明らかに挙動不審なウッドを、博士がじっと見ているのがわかる。
どんな用事と言えばいいだろうか。伝言の意味はわかったが、やっぱり用事なんてない。しかし思い出したと言ったくせに、いつまでも言いよどむのもおかしい。

なんでもいいから言わなくちゃ

「お、おいしいお茶が手に入ったので一緒に飲みませんか!」

ぽかん。
博士はまさにそんな顔をしていた。それを恐々と見るウッドの視線の先で、上がっていた眉が緩やかに下がり、目じりに少し皺が入り、口角があがっていく。

「まあ、ちょっとぐらいならいいじゃろ」

博士はしょうがないなとでもいうように笑いながら言った。

「じゃあ、淹れてきますね! 少し待っていてください」

言い終わる頃には走り出したウッドの背中に、「焦らんでもかまわん」という返事がかかる。それを聞いてウッドは今の自分の使命を思い出した。走るのを止めて、森がちょうど終わる所に作られた小屋へ向かう。
今から小屋に行ってお茶を淹れて、それを飲みながらお喋りすれば三十分はもつだろう。いや、最低でも三十分と言われたのだから、四十分くらいは引き留めておきたい。
フラッシュの博士に向けた優しさが、自分に向けられたもののように嬉しくて、急がない方がいいとわかりながらも少しだけ早歩きになるのを抑えられなかった。







*






ラボの片づけをしている途中で部屋のドアが開いた。デスクの上を整理していた手を止めて振り返ると、機嫌のよさそうな博士が入ってきていた。

「おお、メタルか」
「こんにちは、博士」
「む、待て。そのチップを貸してくれ」

丁度デスクの端に置いてあるチップを手にしたところだった。

「これですか」
「それだそれだ。ほれ」

伸ばされた右の掌にチップを落とすと、博士はメタルに礼を言ってからコンピュータの前に腰掛けた。
それを視界の端に収めながら、デスクの片づけを再開する。

「メタル、フラッシュを見なかったか」

声がかかったのは、とりあえず乱雑に散らばった書類に手をかけた時だった。手の中で書類の向きを揃えながら振り返る。

「いいえ。私が来たときにはいませんでしたが」
「そうか」

言って楽しそうに笑う博士を見てメタルは首をかしげる。
博士の視線の先のコンピュータの画面を見てみても、プログラムの書き換えが完了したというメッセージが出ているだけだった。