「げ」
リビングにあるものをあるままに見て感じたことを感じたままに声に出してしまった。
なぜかテーブルの上に置いてあるクラッシュ用のストローをつまらなさそうにいじくっていたクイックはこちらを向いた。
「遅いぞハゲ」
「そういえば最近おもしろいウイルスを見つけてきたんだがそれは俺に試すチャンスをくれるということか」
「なんだよそれ。なんでそうなるんだよ」
「開口一番失礼なこと言われちゃあ誰でもウイルスの一つや二つぶち込みたくなるもんだ」
「俺はンなこと思ったことないし」
「そうだな。悪かった。お前の電脳じゃそもそもウイルスの捕獲もできねえな」
「てめえバカにしやがってっ」
「バカをバカにして何が悪い」
ザッ、と勢いよくクイックが立ち上がった。持っていたストローを乱暴に机に放り出し、ソファーの背もたれも踏み越えてこちらに向かってくる。
流石にリビングで武器を持ち出すほどバカではないようで安心した。ちょうど握手をするぐらいの距離で立ち止まったクイックを見下ろす。
さて、水面蹴りか頭突きがくるか。これぐらいの間合いであればモーションをかけられてからでも対応できる。
ぐいっ
「おっ?」
対応できなかった。
クイックは無言で俺の右手首をしっかりと掴み、そのままリビングを出て廊下を歩き出す。正直こういう行動をとるとはちっとも予想していなかった俺は、リビングのドア開いたままだなとかどうでもいいことを考えつつ、ずるずると引っ張られるように歩き、我に返ったのは第二ラボを過ぎたあたりだった。
「おいおいおい待て、なんのつもりだ」
「俺はバカじゃない」
「はあ?」
「…バブルがすぐに暴力に訴えるのは知能がない証拠だっつってた」
「あーうん。まあそうだな」
俺としては続きを催促したつもりだったのだがそれっきりクイックは黙ってしまった。
訳がわからない。
もしかして俺がぶち込む必要もなくすでにウイルスに感染済みなのかもしれない。それともあれか、クラッシュの言語崩壊はうつるのか。そうなのか。
俺は比較的どうでもいいことをつらつら考えながらずるずると引っ張られるように歩いていた。わかりやすく言うと混乱していた。
なので結構な力で締めてくるクイックの左手を振り払うこともせず、転送装置がある部屋まで来てしまった。
転送装置は対象を一度分子レベルまで分解して対応する遠隔地の装置に転送、そのまま再構築することにより長距離を一瞬で移動できるという便利なものだ。
ちなみに再構築の際の再現率は99.9999%なので、つまりは0.0001%は失敗しているということだ。磁気嵐なんかが発生すると再現率はさらに下がるので、極力利用しないほうがいい、とメタルに言われたことがある。そうは言っても仕事の能率を考えるとちんたら移動するわけにもいかないので、俺は結構利用している。
ただしクイックは別だ。このバカは走ることが好きだし何よりそれで速いので、転送装置はめったに使わない。少なくとも俺は使っているところを見たことがない。
「…で、人をこんなところまで引っ張り込んで何がしてえんだお前は」
「お前じゃ転送装置を使わないと時間がかかるだろう」
だめだ。バカとは進行性のものだったらしい。
会話の成立しなくなったクイックに右手首を掴まれたままため息をつく。今からこいつをクラッシュだと思おう。そうしよう。
「何で俺が転送装置を使わなきゃなんねえんだ」
「俺のところに、いるだろ、あの…赤いの」
「赤いの? 誰だ。チャンキーか?」
「それだ。あいつが故障したのかなんかわからねえけど、そこらじゅうで火の玉作り出すようになった」
「…故障だな。基地に被害は」
「特にない。けど、温度は上がるし通路は通れねえし最悪だ」
それはそうだろう。むしろ何でこんなに悠長にしているのかわからない。
「何がしたいかはわかったがちょっと待ってろ。工具とってくる」
こいつの基地にまともな工具があるのかわからなかった。
というかどちらかといえばないだろう。部下の名前もまともに覚えてないやつが部下の修理なんてやったことがあるはずもない。
「急げよ」と人に頼みごとをするやつのものとは思えぬ言葉が背後からかかった。
結果から言えば、電子回路に付着したほこりのせいで通電がおかしくなっていたことが暴走の原因だった。
修理自体は分解して電子回路に息を吹きかけるだけで終わったが、そこまでがまあめんどくさかった。本当になぜクイックが悠長にしていられたのかわからないぐらいあちこち焼けて煤だらけで、急遽ショットマンを呼んで消火活動に当たってもらい、そのあと捕獲しようにも機体温度が尋常じゃなかったので、遠くから極力威力を抑えたバスターを数発当てて無理やり動きを止め、さらに機体が冷めるまで待つ羽目になった。ちなみにこの間クイックは何をしていたかというと何もしていなかった。
「お前も部下のメンテナンスぐらいできるようになれ。無理ならせめて定期的にメタルあたりにでも診てもらえ」
「…お前じゃだめなのか」
「俺には俺の仕事がある」
「メタルだってそうだろ」
「あいつはお前が頼めばなんだってやるさ。ただし語尾にお兄ちゃんとつけろよ」
ぜってえ嫌だという呟きが聞こえた。俺も嫌だ。
しかしものすごく便利なことに変わりはないのでどうしようもなく手が足りないときにだけ、本当にたまにだが使う。
「ああ、そういえば」
修理も終わって申し訳なさそうに縮こまっていたチャンキーを眺めながらクイックが言った。
「メタルがお前のこと探してたぞ。なんか用事があるから見つけたら伝えてくれって言われた」
「言うのが遅え」
「仕方ねえだろ、言われたのはこいつが暴走する前だったんだ」
こいつ呼ばわりされたチャンキーはさらに小さく固まったが、クイックに糾弾する気はないようなので俺もフォローは入れないでおく。人の領分に口出ししすぎるのはよくない。
「まあ、わかった。俺は帰るが、とりあえずお前は部下の名前を覚えろ。そいつはチャンキーだ」
「赤いのでも伝わったじゃねえか」
「そういう問題じゃない。バカ呼ばわりが嫌なら覚えろ」
言われてクイックは一瞬沈黙したが、しばらくするとなにやらぶつぶつ唱え始めた。
聴覚回路の感度を上げてみると、「チャンキーチャンキーチャンキー」と呪文のように繰り返している。どうやら覚えるつもりらしい。
そんなにバカと呼ばれるのが嫌なのか。これは便利だ。覚えておこう。
「じゃあ、俺は行くぞ。基地の水は捨てておけよ」
「ああ」
チャンキーと呟くクイックとその横で名前を呼ばれる度小さく震えるチャンキーを置いて、俺はショットマンとともに水びだしの通路を転送装置の元へ向かう。
結局ショットマンをつれてくるのも入れて二往復もしてしまった。
俺が失った0.0004%は今度何かの形で帰してもらおう。分解のための光を浴びながら俺はそう思った。